小さな村の聖人

 勇者は村を脅かす魔物を退治して、無事に戻ってきた。
 村人達は総出で村の救世主を祝福した。
「ありがとうございます」
「勇者さまのおかげです」
 村人達の心からの感謝の言葉に、勇者は戦いの疲れが癒されていくようだった。自然と顔をほころばせる。
 村の広場では祝いの席が設けられて、既に宴が始まっていた。
「本当に有難う御座います。貴方様のおかげで、もう魔物から苦しめられることもありません。」
「いえ、自分に出来る精一杯の事をしただけです。」
 村長の言葉に勇者は謙遜してみせる。
 礼儀正しく振舞ったほうが印象も良くなるし、村人達の喜びようを見ると自然と謙虚な気持ちになってしまうのだ。
 勇者自身、出身が小さな貧しい村であったから、魔物に脅かされていたこの村の姿が故郷に重なる。
 遥か遠くの故郷を救う気持ちを、この村に投影して、ほんの少しの満足と達成感を味わう。勧められたまま酒と料理を味わいながら、勇者は久方ぶりの充足感を味わっていた。
「ところで、勇者様。」
 ある程度勇者の腹も膨れたところで村長がおずおずと話を切り出す。
「報酬の件ですが……」
 言い難そうな村長の態度から、ある程度のことは察しが付いた。
 つい先日、勇者が魔物を退治するまで、ずっと危険に晒されていた村だ。
 勇者が来る前から魔物には襲われていただろうし、それなりの対策も取って来ただろう。
 魔物を倒すまでには至らないなりにも、武の者を雇って討伐に赴かせることだって何回もあっただろう事は簡単に想像できる。
 約束した報酬を用意できない、と。そんな所の話だろう。
 勇者を必要とする村では良くあることだ。
「構いません。皆さんの生活が安全になることが、私の努めですから。」
 慣れた様子で返事を返す勇者に、村長はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「報酬は払える分だけで構いません。隣町までの旅費が手に入れば結構ですので。……後は、協会への推薦文を書いていただければ――」
 懐の寂しい村から、なけなしの金を貰ったところで、対した収入にもならないだろう。それよりも勇者が名声の方がいい。
 いつも困った村を助けた時と同じように、次の街までの旅費と勇者協会への推薦文を書いてもらえば十分だった。
 名が売れれば、金持ちからの依頼も来るようになるだろう。
 そうしたら、こんな小さな村の実にならないような依頼を受ける必要も無い。
 勇者は打算的な考えを、すべて謙虚さと善意で押し隠した。
「すみません。こんな貧しい村に尽力してくださって。貴方様が来てくださらなかったら、私どもは一体どうなっていたことか……。」
「構いませんよ。」
「報酬もまともに払えず申し訳ありません。今ほど貧しさをみっともなく感じたことはありません。」
「そんな、お気遣い無く。」
「せめて、せめて一つだけお礼をさせて下さい。」
 やたらと食い下がる村長に、半分白けながらも勇者は付き合った。
 お礼よりも、推薦文と金が欲しいのだが、そんなことは口に出すわけにはいかない。
「私どもに出来る御礼など、この程度ではございますが……」
 そういって村長は照れたような笑顔を浮べた。
「せめて、村の守護聖人として勇者様を後世まで奉らせていただきます。」
 村長の言葉が理解できず、困惑する勇者を他所に村の男たちが手に棒や鎌を持って近づいてくる。
 先程までの充足感から一気に突き落とされ、勇者は悲鳴を上げた。
 自然と手は、腰元の剣へと伸びる。しかしそこにある筈の感触を掴むことは無かった。
 広場に来る途中で村人に預けたのを思い出して、悲鳴は絶望の叫びへと変わった。

 その後、村の守護聖人が増えたかどうかは定かでない。

 初級勇者入門書に、こういった項目がある。『決められた報酬以外に受け取らないこと』と――。


おしまい