ステルス部

 新しい環境での新しい生活、高校への進学なんて人生の分岐点にいる俺は今までの自分とオサラバして生まれ変わることを夢に描いていた。
 ――が、高校デビューなんて自分の殻を割る勇気も無く、どんどん機会を逃して中間考査も過ぎ、すっかり自分の立ち位置が決まってしまった時期に来てようやく焦り始めている。
 どうしよう、お金がないから公立受けたけど俺の成績じゃ奇跡と言われた合格だったから、勉強に付いていくのに必死で部活なんて入ってない。
 しかもクラスには同じ中学出身の奴も居たけど、そんなに仲良くなくて、そもそも面識もなくて結局交流を持てないまま疎遠になってしまった。
「お前、何中? 〇〇って奴知らない? あ、そう。じゃあ」
 みたいなやり取りの繰り返しのうちに俺の人脈は限り無く細く今にも切れそうなものになっている。
 どうしよう。何か行動を起こさなきゃならない気はするけど、滑ったら取り返しのつかないことになりそうだ。というか、中間考査の終わった今頃にアクションを起こして間に合うのか? もう手遅れじゃないのか。
 それならいっそ限り無く存在感の薄い人間として、クラスの連絡網に名前が載っている程度のキャラになってしまえば……いや、それでは体育祭やグループ学習の度に同じ班になってしまう人々に「生きていてごめんなさい、存在してすみません」と心の中で謝り続けなければならない。
 前進も停滞も危険、一体どうしたら良いんだ! 焦りでどうしようもなくなっている頃だった。
「君には資質がある」
 そう声を掛けてきたのは同じ制服を着た、タイの色で同学年だと分かる見知らぬ青年だった。
「僕は景山隅雄。君と同じクラスだ」
 まさか。こんなクラスメイト一度だって見たことがない。
「僕の席は窓際の君と違い廊下側だ」
「同じクラスだなんて」
「驚くのも無理はないよ。僕は限り無く存在感を薄くする力――言うならばステルス能力を磨いているんだからね。そして僕が見た限り君には存在感が薄いという生まれもった才能がある」
 こいつ、人が気にしていることをズケズケと。景山に対して真っ先に浮かんだのは抵抗感だった。認めるものかという気持ち。
 中間考査の終わった時期、これが俺と景山の出逢いだった。

 俺に才能があるだと? しかし存在感が薄いなんて才能を誉められてもうれしくない。俺は徹底的に景山を無視することにした。
 ……したかった。
 しかしクラスという共同体の前に一個人としての主張など無に等しく、景山のステルス部なるものへの勧誘が第三者の目にはただの日常会話に見えたのは仕方がないのだろう。
 気が付いたときには俺がクラスで一番話すのは景山であり、俺と景山という暗く影が薄く友達のいないツートップがこの狭い空間のなかで形成されてしまったのだ。
 このままではいけない、俺は景山以外に話のできる人間を探さなければいけない。せめて景山と同じと思われてはいけない。。
 そんな願いも毎朝登校し、クラスに入った途端に、すでに出来上がっているトモダチの縄張りを目にすると消えてしまうのだ。
 今まで沈黙を守ってきておいて、なにを話し掛ければいいというんだ。
 結局のところ、俺が近くの席の奴らと会話することなどなく、クラスの奴らとの唯一の話題は景山関連に落ち着いてしまう。
 景山から逃げようとしても結局ヤツの元に返ってくる。そして休み時間、昼食、放課後、気づけば景山とのステルス部勧誘がどうのという会話が繰り返されてしまう。なんて恐ろしい堂堂巡り、いや、人生のトラップなのだろうか。
「いいかげん、ステルス部に入ればいいだろうに」
「黙ってくれ、話し掛けないでくれ。俺はこれ以上浮いた存在になりたくないんだ」
「存在感が薄い時点ですでにクラスの人間からイタイと思われているのでは」
 ああ、景山の勧誘はどんどん毒が増しているようだった。いや、この男には自分の言葉がどれほど俺の心を傷つけているのか自覚がないのだ。弱点を目掛けて何の躊躇いもなく言葉を口にできるとは、まさに天性の狙撃手と言ってもいいだろう。
「観念するんだ。人はステルス能力値が高いほど孤独と付き合わなくてはいけない」
 景山の言葉がちょっとだけ格好いいように聞こえてしまった俺は終わりだ。
「大体ステルス部って何をするんだよ。変な部名だし、何が目的なのかもハッキリしないし、部員だってわからないし」
 俺は一番の謎を口にした。そうだ、景山が熱心に勧めるステルス部なるものが何かも知らないのだ。
「ステルス部の活動とは――」
 景山が重々しく口を開く。と、同時にその言葉を遮るように教室のドアが音を立てて開かれた。
 クラスメートが慌てた様子で机の中から辞書やらノートやらを取り出し、また何事もなかったかように教室を出て行く。その一連の動作はまったくもって普通のよくある学校の風景であった。
「これがステルス部の活動だ」
「どこがだ!」
 景山が自慢げに胸を張って答えた根拠がわからず、俺は詰め寄ってしまう。
「さっきのクラスメイトは我々の存在にまったく気づいていなかった。まるでそこに我々などいなかったかのように、否、彼は知覚していないのだ。こうして存在感を薄くするために研鑚を重ねる。それこそがステルス部の活動だ」
「いつもと同じじゃねーか!」
 つい景山に怒鳴りつけてしまう。これではよくある教室での出来事に変わりがない。まったくもって部活動と称するには程遠い。
 教室で一人残っていて、誰かが慌しく入ってきたとしても、そのまま無視されるのがセオリーではないのか? 集団だった場合は、そのまま俺の存在などなかったかのように雑談を始めるなどよくある光景ではないのか。
 それとも、今まで俺が経験したこと自体がステルス部の活動と同じだというのだろうか。
「僕は驚いたよ、君のように才能にあふれた影の薄い存在が、まだ居たなんて。敢えて存在感を消す訓練を積もうとする人間だっているのに、君はまったく自然にそれを行えてしまう。そう、僕は入学式の日に教室の部品と一体化している君を見てわかったんだ。自分の力がまだまだだってことにね」
 まさか、景山の言うステルス部とは何もしなくても活動していることになるのか? 俺が普通に振舞っていることがすべてステルス部の活動につながっているというのか。
「ちなみに部員は」
「僕と君で二人だ」
 ああ、しまった高校で変なのにつかまってしまった。
 さようなら日常、さようなら平穏、さようなら何一つ個性のない自分。
 俺はこれから痛い人間として生きていかなければいけない。
 高校生という限られた時間の中で俺は異端の存在として過ごさねばならないのだ。
 クラスという閉鎖された環境の中で、俺のステルス能力は異彩を極めることだろう。しかも景山という同じ能力者がいる。
 いわば密閉された人間空間の中で、俺の存在は病原菌のように扱われるのだ。そして忌むべき存在と一人に認識されてしまったら終わりだ。さながら中世のペスト流行のように俺の存在は病のように各教室に伝わっていくだろう。その広がる方法は様々だ。
 同じ中学だった人間、クラスメイトの友人、廊下で見た、キモいと人から聞いた。学級という壁さえ越え、通学途中の電車から学生の間に飛び火し、他行にも伝わることだろう。
 幼稚園から中学校まで過去の恥ずかしい思い出がキモい話として流れ、高校生活の半分は日の光を見ることなく過ごさねばならない。
 一年がんばれば大丈夫だ。みんな受験が忙しくなるから、きっとキモいとか言ってられないだろう。
「馬鹿やろう、俺の高校生活真っ暗じゃないか」
 自分で想像した予想図にダメージを受け、俺は景山に掴み掛かった。景山というイタイ存在と(すでに俺がイタイ人間であるという指摘は敢えて無視する)関わったがために俺は世の少年小説や漫画の主人公たちが過ごすであろう時期を暗く陰鬱とした期間とせざるを得ないのである。
 そして大学に入って、就職したあとに、偶然同じ学校の人間と同期入社したとしても、高校の話題に触れることができないのだ。そして孤立してしまうに違いない。
 そのうち飲み会でトイレにいっている内に解散していて、一人で居酒屋に放って置かれるようになるのだ。二次会になんて義理でさえ誘ってもらえないだろう。
 どうするのだ。マイナスイメージの妄想が止まらない。
「高校どころじゃない、社会人になっても、きっと俺の人生終わってる」
 景山から手を離し、俺は頭を抱え込む。
「もうだめだ、もう終わりだ、でも自殺とか怖いし痛いし、結構いろんな人に迷惑かけるからしたくない。なんか、もう粒子とかになって消えたい」
「甘ったれるな!」
「ふごっ」
 景山が俺を突き放すかのように拳を振り上げる。
「何のためのステルス能力だ、何のための存在感の薄さだ。痛い人間として人に見られるのが怖いなら、見えなくなればいい!」
(ちょっ、それ、前向きなのか後ろ向きなのか微妙だよ)
「もういっそ存在していなかったと錯覚させるほどに、誰の記憶にも留まらなければ、俺たちの勝ちだ。個性が何だ、才能が何だ、努力が何だ、友情が何だ。全部カスだと思って存在感を消し、自分のことだけ気にしていればいいじゃないか」
 景山の主張はめちゃくちゃなものだった。
 何が勝ちなのかすらわからないのだが、なぜかそのときの俺には魅力的なものに聞こえてしまったのだ。
「ちなみにステルス部の目標は」
「じかに携帯電話を触ったら、電波が届かなくなることだ」
 堂々と答える景山が、とても立派なものに見えた。
「成績を一定レベルに保った上で、女子と付き合い、先輩・友人と遊び、世間の流行はしっかりチェックし続け、人間関係を円滑に保つための気配りは欠かさない。そして時には深刻な相談などをして、さも友情っぽいイベントをこなしているかのように振舞う。そんな高度なテクニック、君にはできるというのか」
「無理です」
「そう、無理なんだよ。我々には普通の人間らしい生活というものが無理なんだ」
 景山の言葉はもっともなものだった。もし自分以外の誰かに本音を暴露するなんて考えると寒気が走る。友人と付き合って何か遊びにいかなければいけないと思うと吐き気がする。
 確かに俺には輝かしい高校生活など無理だ。そんなものこなせない。
「ということで、もういっそ人間関係を無視できるようにステルス機能を磨き、自分のやりたいことをやってもイタイ目で見られないようになってしまえばいいだろう」
「おお、なるほど」
「自分本位な行動ができるうえに、他人の目を気にしなくてもいい。まさに一石二鳥」
「景山、お前、スゲーな」
 ステルス部というものは素晴らしいものではないだろうか。誰にも見えてないと思えば、いつでも心のそこで感じている「いろんな人にごめんなさい」という罪悪感ともオサラバできる。
 これはもしかして俺のような人間のためにある部活なのではないだろうか。いっそ神の巡り合わせではないのか。
 心の中で契約書にハンコを押す寸前の、えも言えぬ高揚感に包まれていた。
 こうして俺と景山はステルス部なる部活を作った。

 ……のだが。

「景山さん、お話があるんです」
 部の主な活動時間の放課後になると、なぜかステルス部の元に様々な人々が寄ってくるようになってしまった。本来のステルス部の目的が存在感が薄くなるように努力するというものなのに、現実は逆の方向へと傾いている。
 いや、ステルス部という名前は知られていない。部活の内容も誰も知らない。
 しかし活動時間にやたらと人が来る。
 そして誰もが景山だけに話し掛けるのだ。まるで俺の存在などそこにないかのように。
 今日も今日とて、景山の下に相談を持ちかける女子がいる。どうやら片思い中の男子とのアレコレをどうにかしたいらしい。一通り事情を話すと女子はさっさと廊下を走っていってしまった。
 去り際に会話からこぼれた報酬という言葉が気になる。部活動中に来る人間誰しもが口にしているのである。
 景山曰く、部の収入源であるらしい。
「――で、俺は何の変哲もないクラスメートの振りして、男の教室に入り込んで、アレコレと話し掛ければいいんだな」
「そのとおり、まさにステルス能力を最大限に引き出さなければいけないミッションだ」
 俺は日々ステルス能力を磨いているので、問題はない。だが景山は果たして能力向上に努めているのだろうか。
 それが気になって仕方がない。
 ともかくもステルス部の存在は知られていない。だが、景山は目立ってきているように思えてならない今日この頃だった。
 いや、俺は景山という隠れ蓑があるので、存在感が薄くなる一方で安心しているのだが。

 こうして俺の貴重な高校生活は景山の情報源として、存在感の薄い人間のまま終わった。
 卒業後、同じ高校の人間と出会うことがあったのだが、そのたびに景山の名は話題に出ている。しかし俺が奴とステルス部を作っていたということは誰も知らない。
 俺の元に届く年賀状は親戚と上司と会社の同僚と景山ぐらいのものだ。ただし、いつも景山に送った年賀状はあて先不明で返ってくるし、メールも届かない。

おしまい