真夜中の牛

 真夜中、明日まであと10分を切った頃、来客があった。
「どうも、怪しいものじゃ在りません」
 ピンクの燕尾服にピンクのシルクハット、丸いサングラスを掛けた男がドアの前に居る。めちゃめちゃ怪しいので、そのまま扉を閉めようとしたが、その男はドアの隙に足を差し込み部屋の中に入ってくる。
「あ、どうも。お構いなく。しかし女性にしては随分散らかってるじゃありませんか」
 ずうずうしい事を言いながら、男はたたみに座り込んだ。
 私はこの不振人物に抗議行動を取ったのだが、何を言っても通用しない。それに今は深夜帯だ。大声で追い出すのは、はばかられた。
「あ、緑茶でいいんで」
 誰がお前に茶など出すか。誰が。そう思いつつも、マグカップにティーパックの緑茶を沸かして入れる。フン。不信人物など伊●園で十分だ。粉末を溶かしただけのお茶でもすすって帰ればいい。
「いえいえ、すみませんね。お茶までご馳走になって。実は私こんなものでして」
 横柄な態度で出したお茶を馬鹿丁寧に受け取り、奴は名刺を取り出した。ちなみに名刺ケースもピンクの皮製だ。
 蛍光マーブル模様の名刺には男の素性が書かれていた…が。
「夢喰管理局営業課 夢野忠生」
 口に出して読んでみると、ますます胡散臭さが倍増する。
「ハイ。一応、公務員をやらせてもらっております」
 ……どうやら向こうの世界に足を突っ込んで、戻って来れなくなった人らしい。そんな夢みたいな職業があるわけない。しかも公務員なんて! 
 変な行動を起こす前に、たたき出したほうがいいかもしれない。
 私は男の話に適当に相槌を打ちつつ、どうやって追い出すか考えた。
「――それでですけどね、アナタが今夜のエサに決定しまして」
「はい?」
 勝手に人の家に上がりこんだ男は、勝手に話を進めている。
 きょとんとした私の目の前で、男は変な笛を取り出す。細長いピンクの笛を髭に囲まれた口に運び、息を吹き込んだ。
 その途端、ベランダから、獣の鳴き声がした。
「ああ、そんな狭い所から来ちゃったんですね。今、開けますよ」
 男がさっとカーテンを開けると、そこには牛が居た。
 白と黒のまだら模様の、乳牛だ。
「さあさあ、中に入って。今日のご飯は彼女です」
 サッシを開けて、牛を部屋の中に招き入れる。ボロアパートの畳は、牛が一歩を踏み出すごとに軋んだ。
「ほら、アナタも固まってないで、布団敷いてください」
 とかいいつつ、男は押し入れから布団を取り出す何で、場所を知っているんだと、聞きたかったが答えを知るのが怖くて黙っていた。
「さあ!」
 牛の首に巻いた綱を手に、枕元に男が正座する。開いている片手は布団を指差していた。
「寝てください。アナタが寝てくれないと、夢を食べられません」
「何で寝なくちゃいけないのよ!」
 素直な抗議の声を出した途端、男はポケットから木槌を取り出した。
「仕方ありません、手荒なことはしたくなかったのですが。――寝てください!」
 ポコン。後頭部に衝撃があった。それから先のことは覚えていない。

 チュンチュンとスズメの鳴き声、爽やかな朝の空気に目が覚める。
 時計を確認してみると、まだ5時だった。しかし寝足りなさは感じない。
 昨日の変な男は夢だったのだろうか…そんな事を思いながら、手元に違和感を感じて視線を向ける。
 折りたたまれた紙に500円硬貨と牛乳瓶が置かれていた。
 『アナタの夢、食べさせてもらいました。少ないですが、御礼の気持ちです』
 牛乳瓶については補足があった。
 ……そんな牛乳いらん。
 牛乳を棄て、私は久しぶりに朝食を作ってみた。ゆっくり朝のテレビ番組を見、バスの時間までくつろぐ。
 こんな朝もたまには良いかも知れない。ささやかな満足感や心地よさを抱いて、私は玄関の扉を開けた――。

 そして真夜中。
 友達と長電話している途中で玄関のチャイムがなる。こんな時間に一体誰だ?
 ガチャリとドアを開けると、そこにはピンクの燕尾服にピンクのシルクハットを被った男が……。
「どうも、こんばん――」
 男が言い終わらないうちに、私はドアを閉め、鍵を掛け、チェーンを掛ける。
 ついでにみかん箱でささやかなバリケードを作り、ため息をついた。
「…な、なんだって今夜もまた」
「どうも、お邪魔してます」
「わああ!」
 どこから入ったんだ、お前は? 
 部屋の中にはピンク一色の不審者と、乳牛が居た。準備のいいことに、布団まで敷いている。
「スイマセン。ウチのヤツがアナタの悪夢がおいしいって言うんで。今夜もお邪魔しちゃいました」
 目を輝かせて私を見る男と牛。見てるだけで気が遠くなりそうだ。
 男の蛍光ピンクが目に痛い。牛の白黒模様がチカチカする。ああ…誰か、コイツらをどっかにやってくれ。
 電話相手の友人に助けを頼もうかと思ったが、いつの間にか電話は切れていた。
 しかも携帯は圏外になっている。いつもは3本きっちり柱が立つだろうに、なんでこんなときに限って。
積み重ねたミカン箱にへばりついて抵抗を試みたが、男と牛にはかなわなかった。
 はかなく崩れ去るミカン箱。ああ、地元から送ってきたミカンが玄関に転がる。そうか、愛媛のミカンをもってしても、コイツ等には敵わないのだな。私は諦めを悟った。
 居間に引きずられた私が見たのは、布団を咥えた牛の姿。
 涎が布団に付くじゃないの!弁償しろよ、この家畜!! 
 心の中でどれだけ叫ぼうとも罵ろうとも、目の前の現実は変わらない。着々と敷かれる布団。男が木槌を取り出した時、我慢できずに首を横に振った。
「きょ、今日は夜更かしする予定なのよ、他の所をあたって頂戴」
 夜更かし、という所で男の形相が変わった。
「なんて邪悪な言葉を口にするんですか」
 パコン。
 またもや木槌で後頭部を殴られた。それから後のことは覚えていない。

 チュンチュンと爽やかな朝。枕元には500円と牛乳瓶。ああ、またか。
 朝の日課となった牛乳処理作業を済ませ、私は朝の時間を過ごす。
 あれからピンク男と牛は毎晩来るようになった。そのお陰か早起きは出来るようになった。その代わり、夜更かしは出来なくなった。それなりに爽快感も心地よさも、味わえるから、いいとしよう。
 別に金を取られるわけじゃないし。でもやっぱり……いやいや、何も考えるんじゃない。
 私は湧き上がる疑問から目を背けた。
 それは表面的なことで、気が付けば何時だってフツフツと湧いてくるのだけれども…。
 考え始めると、理解不能すぎて頭が痛くなってくる。世の中には常識で捉えきれないことだってあるんだ。あのピンク男と牛も超常現象の一つということで納得しよう。
 それが妥当だ。
 ―――と、自分に言い聞かせた。
 そして今夜も真夜中にチャイムが鳴る。

「もしもし、部長ですか。夢野ですけれど、今回の件まだ時間がかかりそうです。なかなか手ごわいんですよ、彼女」
 24時間営業のファミレスにて、夢野忠生は携帯電話片手に早めの晩御飯を採っていた。現在の時間は朝の6時だが、彼の体内時間は夜の9時だ。
 これから一晩かけて採取した悪夢を消化しなければならない。
 それと夢野本人の睡眠もまた目的に入る。
「また、ファミレスなんぞで時間をつぶしおって。どうせ、残業手当目当ての寄り道だろうが!」
 部長の叱責は本当のことだったが、夢野は聞こえないフリをした。
「いいか、夢野。今が正念場なんだ。リピーターを作ることが第一の目的なんだぞ!」
 部長の激励に夢野は欠伸で答える。きっと全国の夢喰管理局の営業職員が「こんなバカな仕事があるか」と思いながら毎日営業に駆けずり回っていることだろうか。
 夢を取り扱う仕事でありながら、夢野自身に夢はなかった。
 彼の夢とは、別の部署に転勤になること。それだったら左遷でもいい。いっそプロジェクトが潰れてしまったほうがいいかもしれない。
 こう見えても夢野は、とてもドライな男なのだ。献身的なこの仕事は夢野の性格からかけ離れている。
(ま、楽っちゃ楽だよな)
 不満は料理が到着したことにより消え、暢気に夢野は輸入肉ステーキをほおばった。
 部長への電話は、もうとっくに切ってある。
 公務員、夢野忠生はファミレス職員の不信な目に動ずることなく、夕食を採ったのであった。
 そして今晩も彼は悪夢が習慣化してしまった人間を、強制的に早寝早起きさせるために奔走する。

おしまい