日付が変わる前に

 それはいつも日付が変わる間に目撃する。
 住宅地のそばのドラックストアは深夜まで営業している。仕事が夜中に終わる私なんかは重宝しているのだけれども、それでいいのかはわからない。でも3パック298円でセールに出される日用品は重宝しているし、『薬』と名のつくものであれば、店内に積み重なってある。まるでコンビニみたいに……インスタントの食料品やお菓子だって置いてあるのだから本当に何でもあるのだと思う……明るい光に誘われて仕事帰りの私は住宅地そばのドラックストアに寄るのが習慣だった。
 いつものように安いセール品を見て、インスタント食品を見て、お菓子を見て、そういえば髪の毛染めなきゃとか、洗剤が切れてたんだっけなんて棚を眺めていく。風邪薬とか胃薬の棚には用がない限り寄らない。今日はめぼしいものがなかったと、髪染めを手にレジに向かうと店員に話し掛けているサラリーマン風のお客さんがいた。
「すみません、勇気と誠実さをください」
「かしこまりました、少々お待ちください」
 てっきり店員さんに話すのが習慣化したお客さんなのかと思ったら、そうでもないらしい。店員さんはガラス窓のついた風邪薬の棚に向かい鍵を差し込む。そうすると陳列してある棚が扉になって、たくさんの薬箱が詰まった隠された戸棚が出てきた。指差し確認をしながら店員さんは薬箱を二つ手にとる。
「お待たせしました、勇気と誠実さの薬です。同時に服用してしまいますと『融通が利かない』症状が出ますので、別々に取られることをお勧めいたします」
「ああ、ありがとうございます。探してたんです」
 そしてお客さんは満足そうに二つの箱を取っていった。店員さんに事情を聞きたかったけれども、さっさとバーコードを読み込んで「485円になります」と会計を進められたらどうしようもない。結局、世の中には変わった客がいたもんだと思いながら、また買いすぎてしまったインスタント食品を車に乗せた。車のデジタル時計が午前0時を示す。いつの間にか日付が変わってしまったことに、私はため息をついた。
 
 車道の並木道は葉が落ちてライトに枯れ木が照らし出されている姿は少しだけ無気味だ。住宅地へと向かう並木道沿いにそのドラックストアはある。入れっぱなしにしていたCDが、時期はずれの夏の歌を流している中、私は鼻がムズムズする。音を立てて鼻を噛んでも違和感は直らなかった。明るい光がくすりの看板を照らしていて、誘われるように私は車のハンドルを切った。
 また誘われるようにドラックストアによってしまった私は、鼻詰まりが悪いから何かしら薬でも見てみようという気分になっていた。
 鼻炎のコーナーのとなりにはうがい薬も並んでいる。そして私と同じ体調を崩したのか一人のお客さんがウロウロとしていた。学生風の女の子だ。彼女は探している薬ないと見るやがっくりとうなだれる。
「何かお探しのものでも」
 客の様子に感づいたのか店員さんがすぐに寄ってきた。
「すみません、やさしさと賢さはありませんか」
「ああ、それでしたらこちらの棚ですよ」
 またもや遭遇してしまったトンデモ質問に店員は笑顔で答える。レジの脇に設置されたガムが並んだ金網をくるりひっくり返して、裏にくくりつけてあるサプリメントみたいなプラスチックケース二つを手に持ってきた。
「これです、これを探してたんです!」
 お客さんはすごくうれしそうだった。ブルーベリーとかビタミンとか、そういったサプリメントの一種なのかなと思った。「○○を採らないと優しさがない」なんてCMでもしているんだろうかとも。
「お客様は何をお探しですか」
 声をかけられて、何もないとはいえずに鼻炎の薬を探してもらった。買う予定ではなかったのに、結局レジに並ぶことになった。
「同時に服用されますと『知らん振り』『諦め』『見なかったことにする』等の症状が出る場合がございますので、別々に取られますよう」
 レジでも丁寧に店員さんが説明する。お客さんはうなづき人形になったように首を上下させていた。私も説明があるのかと期待したのだけれども、バーコードをピッと鳴らして「375円です」とだけしか言ってもらわなかった。
 車に戻り先ほどいっしょに購入したペットボトルのスポーツドリンクで鼻炎の薬を流し込む。車のキーをかけるとガソリンのにおいといっしょに、明かりがつく。そしてデジタル時計の文字がカチリと0時に切り替わった。

 夜中まで仕事が続くなんて最近じゃざらになってしまった。そして帰途の途中で明りに誘われる虫のようにドラッグストアに誘われてしまうのだ。そうなったのはいつからだったのか、家を出てからは生活を維持することが最優先でいろんな事を忘れてきたような気がする。入れっぱなしのままのCDは季節外れの邦楽を流している。ラジオに変えると規則的なニュースや明るい声が飛び込んできて、固いニュースや最近の流行からのどちらからも取り残されてしまったような感覚を覚えた。
 暗い気持ちになるつもりはなかったのだけれども、もうこんな時間かと考え始めるととりとめもなくなる。一体今日は何をやったのか、そして明日も何をするのか、それらは作業であって仕事であって、生きていくための術であって、けれども不確かな物でしかない。だから不安だった。
 本当は通り抜けるはずだったドラックストア側の並木道でハンドルを切った。車はまっすぐに駐車場に入っていく。
 何を買おうか決めずに店内に入る。多分レトルト食品になるんだろうと、ブラブラとしていたら足が自然と洗剤コーナーに向っていた。三個セットになった洗濯洗剤、詰め替え用の柔軟材、ちょうど棚のむこうには台所用洗剤が並んでいるだろう。背後にはオムツやトイレットペーパー、ティッシュの箱などかさばるものが積み重なっていた。
 そろそろ買いだめしておこうかと値段を確認したが、いつもと代わり映えしない。洗剤も同じだった。このまえ醤油を零してしみが取れなくなったブラウスを如何しようかと思いながら漂白剤を眺めていると、「すみません」と女の人の声がする。店員さんを呼ぶ声だ。
「すみません、しがらみは落とせますか」
 ちょっと年上の女性だった。店員さんはぐるりと棚を見回して、困ったような顔を浮かべる。
「申し訳ありません、お客様のご注文の品は取り扱っていないようです」
「じゃあ、元気と前向きさを下さい」
「かしこまりました」
店員さんはレジにお客さんを連れて行く。テーブルの上には風邪薬瓶みたいな小さな塊が二つほどあった。
「同時に服用されますと『カラ元気』の症状になる場合があります、副作用等にご注意ください」
 店員さんが説明をする。お客さんは何もいわずに薬を二つ購入して去っていった。風呂用洗剤をレジに持って行ったけれども、やっぱり説明はなかった。
 車に戻ると、日付は23時59分だった。

 ほぼ習慣化したように並木道のそばを通る、車を端に寄せて止めると、点滅する携帯電話を確認する。着信が何件も入っていて、留守伝メッセージも残されている。
 送信元は全部同じだった。仕事の間中気付かなかったし、終わった後も気づくことがなかった。バックの隙間から青い光がもれていることを目にしなければ、きっと家に帰るまで電話を取ることもなかっただろう。 
 液晶画面は23時45分を示している。
『もしもし? 仕事、忙しいの。ちょっと連絡しておきたいことがあってね、お父さんが検査入院するそうなの。レントゲン写真を撮ったら肺に影が映っていてね。詳しく検査するそうよ。
 ……もしかしたらということもあるから、こっちに戻れる予定あるなら、一度顔を見せに来て頂戴』
 母親からのメッセージは似たような件数が何件も続いていた。最後にはもう今日中に連絡を取るのは無理と受け取ったのか、明日電話を入れるようにと締めくくっている。時間からして、今から実家にかけるのは無理だろう。だから仕方がないのだ。
 電話の向こうの母親の声は、おばあちゃんに近くなっていた。
 父親の顔を思い出そうとしても、姿がまちまちで髪が黒い時しか思い出せない。もう年齢的に白いものが混じっていてもおかしくないだろうに、出てくるのは酷く疲れた顔を見せる姿だった。
 母親の姿も同じだ。どれくらい故郷に帰ってないだろうか。それを痛感する。
 視界の端にドラッグストアの明りが映った。誘われるようにエンジンをかける。
 別に欲しいものなんてなかった。このまえ買った風呂用洗剤はすでに買い置きしてあって、二度手間になってしまったのだし、インスタントラーメンも風邪薬も鼻炎の薬も間に合っている。
 頭の中が酷く浮ついた、混乱した状態だったのだと思う。習慣化したように食料品コーナーを回って、それからどの棚に向えば良いのだろうと悩んで足が止まった。
 何かを買わずにはいられない。けれど、それが何なのか分からないのだ。
「何かお探しのものでも?」
 店員さんが近づいてい来る。どう答えれば良いのか分からなくて、欲しいものが何かも思い浮かばない。沈黙でしか返せなかった。
「お客様がお探しの品は、右ポケットの中にあります」
 店員さんの言葉に従って右ポケットの中を探ると固い物体に当たる。ああ、これは携帯電話だ。液晶画面は23時58分を示している。
 この時間はかけたって、きっと繋がらない。そう分かっている。けれどもダイヤルを回して長いこと指に馴染んだ番号を打った。着信履歴から掛けた方が早いのは分かっていたのだけれども、そこまで知恵が回らない。
 プルルルル……と、繋ぐ音がして体が緊張する。ここが店内だった事を思い出し、慌てて出井入り口へと走り出す。
「ありがとうございました」
 自動ドアがしまる寸前、背中に店員さんの声が届いた。



 結局、父親の肺の影とはカビの一種で、命の危険ではなかった。入院とか手術の必要はあったみたいだけれども、詳しい話は分からない。仕事が外せないからやっぱり顔を見せることは出来なかった。 
 しばらくあのドラッグストアには行っていない。仕事が終わる時間帯が早まったからで、もう日付が変わる寸前に飛び込むことがなくなったからだ。けれどもこれからも無いとは言えないだろう。
 不思議なことにトンチンカンな商品を頼むお客さんには遭遇していない。同じように明るい店内ではお客さんも疎らに居て、日付が変わるギリギリのガランとした店内よりは人の気配がある。だからなのだろうか。
 もしかしたら知らないだけで、毎日、難しい商品を聞いてくるお客さんは居るのかもしれない。
 そして、そんなお客さんは日付が変わるギリギリにあの店に訪れるのだろう。
 化粧品コーナーを見ながら、漠然と「虚飾を落とすオイル」を探す人が居てもおかしくないだろうなと思った。 
 

終わり